パソコンの進化の停止
数年前に購入したレノボのノートPCと、今回購入した東芝のdynabook Satellite、性能的にはほとんど変わらない。CPUの世代が新しくなったおかげか、電池の持ちがよくなったことだけだ。
思うに、PCは、これ以上のCPUの性能や、これ以上の画面の高解像度化は、意味がないのだろう。進化の方向として、電池を長持ちさせたり、筐体を薄くしたり、筐体に表面加工を施すことで、パームレストに手のひらを置いたときに、いやな感触にならないようにしたり、など、細かな改良を少しづづ重ねていく方向になっている。
新機種が3年で陳腐化し、性能的に不足していった時代とは違い、今は5年前のPCでも、故障さえしていなければ十分実用的である。そのためか、PCの出荷額が年々減少しており、PCの技術開発に資金が投じられなくなった。PCは、レガシーデバイスへの転落が進んでいるのだ。